くいだおれ太郎は同店の看板であると共に、ビリケンや通天閣と並び大阪を象徴するオブジェ(動く看板)となっている。
文楽人形の製作技術が利用され、制作費は1千万円とされている。電動で休むことなく太鼓を叩いたり鐘を鳴らす・首を振
る・口パクするなど一種の「宣伝ロボット」である。太郎登場以前には文楽人形そのものを直接人間が操作して、店への呼
び込みを行っていた。なお、顔のモデルは喜劇役者の杉狂児と言われる。
1959年のくいだおれビル建設の際には「店頭の人形は撤去すること」が銀行側からの融資条件に含められてしまった。この
当時はまだ「くいだおれの看板」としての知名度は低く、高度経済成長期に入り街が近代化して行く中で、融資元の目には
「時代錯誤で街のイメージに添わない騒音を出す人形」としか映らなかった模様である。山田はどうしても太郎を外したく
なかったため、同ビルは銀行融資無しで建設されたという。
1989年に昭和天皇が崩御(死去)すると、太郎の衣装を通常の紅白のものから白黒のものに変更した。 1990年には「バン
ザイ人形」と呼ばれる太郎の別バージョンが登場し、同年11月の今上天皇の即位の御大典を祝福した。この「バンザイ人形
」後に太郎の弟「次郎」と名づけられ国民の慶事や大阪関係の発展に関するニュースの際に店頭に登場し、バンザイしてい
た。
1992年に阪神タイガース優勝がいよいよ目前に迫ると、何処となくタイガースのスター選手亀山努に似た太郎が、前回の優
勝時に熱狂したタイガースファンらにより道頓堀に投げ込まれたカーネルサンダース像の代わりとして狙われ、道頓堀に投
じられるのではという懸念が生じた。そのため、「わて、泳げまへんねん」とふきだし風の看板が添え浮き輪に水中眼鏡と
いう特別コスチュームに変更された。
この頃より「くいだおれ太郎」の知名度が全国的に急速に上昇、1993年には太郎のキーホルダーが製作された。前述の通り
、山田の遺言にはこの人形を大切にするようにという文言が添えられていた。
くいだおれ太郎は大阪城、通天閣、太陽の塔と並ぶ大阪を代表するシンボルの一つと見做される。創業者・山田六郎の出生
地の香美町(旧・香住町、現・香美町香住区)から人形を引き取りたいとの要望も上がった。
なお、「くいしんぼう仮面」という、くいだおれ太郎をモチーフにした覆面レスラーがいる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
くいだおれ太郎復活ですね。またみられる日が来てとてもうれしいです。
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